蕪村の風景



蕭条として石に日の入枯野かな
蕭条として石に日の入枯野かな

この「石」がどんな状態なのか、石の川原か大きな石のある石切場の様な所か、なかなかイメージが固定しなかった。
石と枯野、この二つが寒くて硬い風を感じさせる。「蕭条」の硬い語句の字余りを頭に持ってきた、これがあるからこそモダンで立体的な風景の句になったのでは。





冬こだち月に隣をわすれたり
冬こだち月に隣をわすれたり

すっかり葉を落とした寒林、冴えざえとした月、忘我の境地。
「隣」は注釈に「あわれ」となっていて「憐」の意味だった。
そんなことはどうでも良いので、透明な空気と乾燥して鋭い針のような月の光が背すじを貫く。




易水にねぶか流るゝ寒さかな
易水にねぶか流るゝ寒さかな

たしか学校の教科書に出ていた記憶がある。
蕪村の博識は中国の史記に及ぶ、わからない地名の水流が不思議な寒さを感じさせる。
凍りつくような水の流れと、葱の白い色の動きに目線を合わせている。まさに東洋の冬の一画面。





山水の減るほど減りて氷かな
山水の減るほど減りて氷かな

山から落ちる涸れがれの水、雪どけになって水量が増すのはもっと先。
細い水流の周囲は既にキラキラと氷が光っている。僅かな窪みに溜まった水は厚い氷になっている。
山の緊張した寒い空気が切れ切れで、渇ゝの水流に集約されている。





宿かさぬ火影や雪の家つづき
宿かさぬ火影や雪の家つづき

蕪村もこのような旅をしたのだろうか、なぜか山頭火の行乞の旅の句のように思える。しかし山頭火と違うのは影像的な美しさにある。
蕪村の代表作と言ってもよい「夜色楼台図」にも雪の夜の京の町並みにほのかな赤い火影が添えてある。

宿に泊めてもらえなかった時の感傷が「絵」になった。





鶯の逢ふて帰るや冬の梅
鶯の逢ふて帰るや冬の梅

番いになる前の、つまり交際中の鶯と、まだ固い蕾の梅を組み合わせたほんのりとした、はんなりした美しい作品。
独身の鶯に向けた眼差しが暖かい。




  メニューへ 次へ