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一本の川筋が、これだけ表情を変える川も すくない。 四条、五条はもっとも艶ややかな部分で、 出雲の阿国のことを持ち出すまでも無く、 両岸は都の派手で享楽の巷になっている。 したがってこの水も何故か春に浮かれた表情を 湛えている。八坂には、友人の池の大雅がいるし、 祇園にも遊んだ。 多分その往還で目にしたのだろう。 |
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どこの海か、きょうは静かだった。 岸には菜の花が黄色の線を引き、 のどかな春の一日が暮れていく。 鯨が海岸に近づくと、漁村は大事件になる。 きょうはそんな事件も無く、 菜の花が彩りを添える静かな一日だった。 |
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静な漁村にもう一つ見逃せないものがあった。 絶えることなく無限に続く波の音があった、 波ではなくて海の音としたところに大きさを感じる。 たぶん、このあとに、有名すぎる程の名句 「春の海終日のたりのたり哉」と続くのでは、 と思います。 |
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なにか悟りの境地の感じがする。 一期一会の諭のとおり巡りくる季節も、 その中の自分の存在も、一期一会なのだと わきまえて、終日、歩いた。 充実した春の一日だった。 |
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桜前線が届く寸前の季節感が堪らない。 私自身も春分の日あたりから、花の咲くまでの 僅かな頃が一年の中で最も好きだ。 花が咲くと都では気違いじみた騒がしさと 浮かれが始る。 薄ら寒い中に確実に来ている春を自覚する 楽しさは、格別なものがある。 |
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春の夕方、なにか分からぬが、突然、 昔に思いが飛ぶことがある。 これが感傷といったものだろうと理解して いるのだが。なんとも切ない気分になる。 蕪村もきっと同じ状態にあったのだろう。 春宵一刻を自覚している時にかぎって、 襲ってくる。日本人独特の感情だろうか。 |
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