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芭蕉の「さみだれをあつめて早し最上川」がすぐに 連想される。実に立派な芭蕉の絶唱である。 が、蕪村の目の異なるのは心細く岸にたつ家に 思いを寄せている点だ、家は一軒でなく寄り添った 二軒という点も思いが深まる。大河は故郷の淀川 だろうか。 |
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この場面も向こう岸とこちらの舟の間に 大きな河が眼の前にある。向こう岸の人間は 懸命に呼びかけている、当然、声は届かない。 ならば扇で招くしか方法がない。向こう岸の 人間のおかしい程の真剣さが伝わってくる。 小さく見える扇がドラマを伝えてくれる。 |
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私はこの句が好きです。 異次元の生命のドラマを見ぬふりをして 見ている夏の月、なんとも艶やかな夏の景色 ではないでしょうか。 むかし、「黄桜」のコマーシャルで小島功さんが 軽妙なタッチで河童の夫婦を描いて好評でしたが そのような河童の姿が彷彿としてきます。 |
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炎天の道を喘ぎながらゆく姿、山頭火にもこの ような句があるが山頭火の場合は、乞食の行 と言った重いものがあるのでこちらにもつらい ものが伝わってくるが、蕪村の場合はつらいのは 当然と殆ど諦めて、むしろリズミカルなのんきさ で足を運んでいる。 |
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休息の夜でも農民は働かねばならない。 水田の水の調整に、月明かりを頼りにあちらにも こちらにも人影が動く。水を張った田に写る月と 人々の交わす声がようやく涼しくなった田面を 渡っていく。夏の夜の蕪村の聴覚と視覚が捉えた 墨絵の一幅。 |
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池の蓮を見た人なら誰でも眼にする景色、 この句の後に「蓮の香や水をはなるゝ茎二寸」と いうのがあって、どちらも静寂の中で咲く花と 水に身をまかせて浮かんだ大きな葉をスケッチ したもの。お寺で詠んだ句らしく真面目で素直な 感覚になった。 |
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