蕪村の風景



中〜にひとりあればぞ月を友
中〜にひとりあればぞ月を友

自分以外の何物もいらない。
ただ月さえあればの心境。
月と対峙している時、自分の心は親しい友人と
並んで坐っている様に、穏やかで癒されて、
そして静かに満たされている。一人だからこその
有り難いひと時。
(昔の日本語の表現の記号はムツカシイ。)





月天心貧しき町を通りけり
月天心貧しき町を通りけり

それは徹底的に澄み切った秋の夜の空気、
静まりかえった町を歩く、動くのは付いて来る
自分の影のみこの様な状況の記憶は自分のなかにも遠い遠いものとして残っています。
たしか国語の時間に初めて俳句と出会った時に出ていたとおもう。それ以来、見事な月夜にはいつも思い出す。「月天心」の語が奥深く見事。




名月や夜は人住ぬ峰の茶屋
名月や夜は人住ぬ峰の茶屋

月あかりが山のかたちをしっかり映し出した。
確かあの辺りには茶店があった筈。しかし店の人
は山を降りて帰宅している、人の気配がないのが
良い。
前出の「一人あればぞ」の句に通じるものがあるが、
こちらは風景画になっている。おそらく蕪村の
絵心が動き出しているだろう。





名月や雨を溜めたる池のうへ
名月や雨を溜めたる池のうへ

これも画家ならではの着眼。水にうつる月は材料
としてさまざまに使われてきて、事実、特別な趣が
あるものだ。
盃に月を写して飲み干す趣向もあれば、「月を
とってくれろと泣く子」もいる。遠い存在のものが
手近に存在するという新鮮な感動、淀んだ水では
なく雨の水だからこれも 新鮮、なにか特異な新鮮さを感じる。





獺の月になく音や崩れ簗
獺の月になく音や崩れ簗

秋の出水に水かさが増し里人が仕掛けた簗は
無惨にも壊れてしまった。この時期、毎晩やって きては里人の収穫を横取りしてきたカワウソは
あてが外れて無念の叫び。山里のささやかな
物語のコントの様な一場面。これも蕪村が絵に
すると小動物をモチーフにした格好のものに
なりそうです。





花守は野守に劣るけふの月
花守は野守に劣るけふの月

「花守」は知っているが「野守」と言う言葉は知ら
なかった私見ですが、私は「花」を見た感慨や
美しさよりも、「月」を見たときの感慨や美しさ
のほうを上位に置く。つまり「花派」ではなく「月派」
なのですが、蕪村も月の句に優れたものが多く
あるのではと考えます。
山際の、水際の月でなく平らな野にある月は絵筆
でなく句によって見事に絵になった。




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