型染めギャラリー 游染画廊

花暦

「日本には昔から人間と植物の間にはこまやかな交流があった。交流というより、同等に扱っていたというべきか。 そういう文化の伝統を持ちぐされにしてほしくはない。」  
白州正子のエッセイ「夕顔」より。
同等の扱いどころか、精神や生活の中に入り込んで、脳の一部になっているかも知れない。
椿 遅れ咲きいまの落花に加わらず
山口誓子
全山に一つの椿探しおり
渡辺伸一郎
ふりかえる椿が赤い
山頭火
江戸時代の日本に初めてやって来た
ポルトガル人によってヨーロッパに
広まった美しい花も、日本では決して
花の主役にはなれなかった。中国から
やって来た梅や牡丹にその席を譲って
きた。

ぬくうてあるけば椿ぽたぽた
山頭火
椿おちているあおげば咲いている
山頭火
暁のあられ打ちゆく椿かな
蕪村
この様に主役にはなれなかった花で
あるが、椿の模様は染織作品にも
漆や焼き物にも多く描かれてきた。
そして椿が描かれていると、なぜか
安心した落ち着いた気分がするのは
何故だろう。松竹梅の模様にしても
牡丹が描かれたものにしても何故か気負い
があって、気分がしんどい。
この様に日本人の深層心理に生きてきた
花なのだ。
椿

椿 浦々の浪よけ椿咲きにけり
一茶
いっときは雪にも染みし椿かな
永井龍男
春雷のあとなまぐさき椿かな
塚本邦雄
椿にもいろいろな種類があるが、模様に
描かれているその形は多くは無い。せいぜい
3種類ぐらいを覚えておけば大抵の場合は
対応できる。形がシンプルで典型が決まり
易いのだろう。民芸品の模様や家紋にも
使われている事も親しみ易さのせいだろう。

花弁の肉やはらかに落ち椿
飯田蛇笏
赤い椿白い椿と落ちにけり
河東碧梧桐
落椿もうたましいが抜けている
佐伯昭市
このように親しまれている椿の模様も、
つよく嫌われる事がある。つまり散り方が
問題で江戸時代に言い出したのだろうが
『首が落ちる』との論理なのだ。蕪村の句にも
「ちるはさくら落るは花の夕べ哉」というのが
あって椿は散るとは言わないで落ちる花
だった。
しかし落ちるから、落ちた姿も風情があるから
句に詠まれた、椿の句の半分は落椿と
いっても過言ではない。『滅びの美学』は
浸透している。
椿

椿 笠へぽっとり椿だった
山頭火
鵯の言葉わかりて椿落つ
阿波野青畝
椿流るゝ行衛をおもひけり
杉田久女
落椿は模様に描かれることはない、
しかし美しさだけで評価するなら結構
面白い模様になるのは間違いない。
落ち椿はオシベも共に落ちるらしいが、
実が出来るのはどうしてだろう?
落ちた椿は掃き集められて捨てられるか、
人知れず土にもどるか。なににしても気に
なる憐れにも美しい『終り』の姿なのだ。

この作品は少しの冒険をしてみた。
アメリカの女流画家に
ジョージア・オキーフという人がいた。
この人の前半の作は知らないが
後半になんと巨大な画面に一輪の花を、
しかも画面からはみ出した状態で
描き続けた。
別にその真似をした訳ではないが、
実物の6〜7倍の面積の花を描いて
みて、なんとも不思議な心境と感覚を
覚えた。
初めての経験なのだ。
気持ちが拡がって、優しさのような
柔らかなやすらぎににも似た気持ちが
心良かった
オキーフの気持ちと目指していた
コンセプトがなんとなく理解出来たような
感じだった。
椿






戻る メニューへ