山頭火(さんとうか)



まつすぐな道でさみしい

人生は、紆余曲折が当たり前。
それでこそ面白くもあり人間的にも
味が増してくると云うもの。
山頭火にとっても自分に忠実であればあるほど、
曲がりくねった道こそが自らの道だったのだろう





分け入つても分け入つても青い山

六月ころの、高千穂から日向あたりへの深い山脈。
この山なみに挑むかのように杖を曳く山頭火、
神の霊気の満ちる山塊へ、
自分を埋めていく快感のようなものを
感じていたかも知れない。




へうへうとして水を味ふ

水を飲むのに、また何という表現だろう。
「へうへう」とは人の生活スタイルや、
歩く姿などにはよく使う。
が水を飲む場合に「へうへう」とは。
この水はどんな味だったろうか。





あの雲がおとした雨にぬれてゐる

山頭火には雨の句が多い、
乞食行脚の身には最もいやな場面に違いない。
雨に打たれている時、
雨雲が通り過ぎた後、
それぞれに異なる心情が美しい。





水に影ある旅人である

清く澄んだ水なのか、濁水なのかはわからないが、
まさにたよりない風景だ。
老子は「道」の精神を水に喩えた、
山頭火の気持ちの中に、
このようなことがよぎったのではないか。
まさかそんな作意はないと思うが。





炎天をいたヾいて乞い歩く

夏の炎天、今にも崩れそうな埃と汗の姿、
しかし山頭火の場合は、
山を前に分け行く時とおなじで、
挑戦でもあり、それ以上に、
燃え立ちそうな炎天のなかで、
生かされている自分の存在。
むしろ嬉しく尊いと喜んでいるのでは。




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