
![]() |
人生は、紆余曲折が当たり前。 それでこそ面白くもあり人間的にも 味が増してくると云うもの。 山頭火にとっても自分に忠実であればあるほど、 曲がりくねった道こそが自らの道だったのだろう |
六月ころの、高千穂から日向あたりへの深い山脈。 この山なみに挑むかのように杖を曳く山頭火、 神の霊気の満ちる山塊へ、 自分を埋めていく快感のようなものを 感じていたかも知れない。 |
![]() |
![]() |
水を飲むのに、また何という表現だろう。 「へうへう」とは人の生活スタイルや、 歩く姿などにはよく使う。 が水を飲む場合に「へうへう」とは。 この水はどんな味だったろうか。 |
山頭火には雨の句が多い、 乞食行脚の身には最もいやな場面に違いない。 雨に打たれている時、 雨雲が通り過ぎた後、 それぞれに異なる心情が美しい。 |
![]() |
![]() |
清く澄んだ水なのか、濁水なのかはわからないが、 まさにたよりない風景だ。 老子は「道」の精神を水に喩えた、 山頭火の気持ちの中に、 このようなことがよぎったのではないか。 まさかそんな作意はないと思うが。 |
夏の炎天、今にも崩れそうな埃と汗の姿、 しかし山頭火の場合は、 山を前に分け行く時とおなじで、 挑戦でもあり、それ以上に、 燃え立ちそうな炎天のなかで、 生かされている自分の存在。 むしろ嬉しく尊いと喜んでいるのでは。 |
![]() |
| ▲ |