山頭火(さんとうか)



捨てきれない荷物のおもさまえうしろ

行乞のための携帯品としての荷物だろうか。
この句で思い出す句がある。笑福亭松鶴の
遺言の句「煩悩を振り分けにして西の旅」
これに続いて六代目の松鶴は
「われもまた振り分けにして西の旅」
山頭火の荷物もまた自身の煩悩や諸々の
身についた業だったかもしれない。





月の水をくみあげて飲み足って

季節は何時か知らないが2月〜3月の夜の水。
これほど旨い水はない、たとえ水道水であっても。
美しい句だ。月明かりが砕け散る
冴えた光と寒さゆえに固く締まった水
一掬いの水では飲み足りない
月影が戻るのを待って一掬い。
喉の渇きより心は充分飲み足りた。




ここにふきのとうがふたつ

早春の小さな風景
平凡な会話の様で、平仮名ばかりで、
だからこそ季節を見つけた感動に充ちる
山頭火の目は他の俳人とはやはり違う。
眼とこころが澄んでいるからこそ平易に
平仮名12文字で充分だった。





ふるさとは遠くして木の芽

どこを歩いているのだろう。
行乞であろうと、無かろうと「旅」とは
雲を見ても、風を感じても、花を見ても
ふるさとに繋がるもの
清新な季節、木に再び戻った命
心は静かに季節を見据えて
足は軽い。





どこかに月あかりの木の芽匂うなり

精緻に研ぎ澄まされた視覚と聴覚
月明かりに目ざめた新しい木の芽
乞食の行の最中、これでいいのだろうか
こんな自問も聞こえそうだ。しかし
人間の営みより 自然の営みの中にこそ
「まこと」が潜んでいる。
自然の中に身を置いて自然に還る
これが行の到達点。





庵はこのまま萌えだした草にまかそう

出立の時がきた。
乞食の行というものの 漂泊の旅に出る
山頭火は本来の姿にもどった。
わずかの間 定住していた庵は自然の季節に
任せたが、心は晴れ晴れとはしていない。
身には捨てきれない荷物が肩にある。




戻る
メニューへ
次へ