山頭火(さんとうか)



朝はよいかな落ちた葉も落ちぬ葉も

焼き捨てる、整理するこれらの行為は自分の部分を
捨ててしまうことだ、見かたを変えれば脱皮ともとれ
るし、行き詰まりに対する屈辱の行為ともとれる。
修行者としては当然のこと、自分に対して厳しくすれ
ば何度もしなければならない行為である。山頭火は
正直な人だった。





誰も来ないとうがらし赤うなる

前の日記を焼き捨てたことと全く異なる。
 自然の活発に生きていた姿が、真昼のうららかな時
 の中で死の姿に変わってしまった。しかも死後の
 処理の結果を目前にある。
 秋に普通に何処でも見られる所作を鋭い目で見
 つめている。




藪で赤いのが烏瓜

ひょっとすると山頭火自身の、死後の理想的な場所選び
 の句にも思える。
 墓といえば人の「生きていた痕跡」だろう。この痕跡を
 静かでしめやかな山の自然に求めていた。
 行乞の旅では期待できない希望なのだが、やはり人の
 子だった。





熟柿のあまさもおばあさんのおもかげ

このさびしさの根源は何だったのだろう。人はみんな
 この様な「訳の判らないさびしさ」を抱えている。しかし
 それに気が付かないだけなのだ。
 乞食の行を続ける山頭火の背中に、いつも張り付いて
 いるのだ。これを自覚した時はじっと我慢しなければ
 ならない、自然と酒が進む、酒が醒めるとまた寂しさ
 が募る。なんともやりきれない。





足音が来てそのまま去ってしまった落葉

あまりにも有名な、代表的な句。
 このシリーズの(5)で取り上げたがやり直した。
 晩秋のこの時期に、この句に出会うとまた異なる感興
 がある。





枯れゆく草のうつくしさにすわる

再生の気持ちが溢れている。自己批判と自己嫌悪の
 苦渋の旅を続ける中で、何か心の転機になる様な良い
 ことがあったのか希望が見える。心を入れ替えるのは
 よくわかるが、貧しい旅で衣も替えられたのかと、下司
 の勘ぐり。


このシリーズはここで一区切りにします。次の予定は何にするか未定です。この切り替えの時期がもっとも辛く苦しい思いをしますが、逆に気持ちをあちこちに遊ばせて最も楽しい時期なのです。
どうぞご期待下さい。


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