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![]() 焼き捨てる、整理するこれらの行為は自分の部分を 捨ててしまうことだ、見かたを変えれば脱皮ともとれ るし、行き詰まりに対する屈辱の行為ともとれる。 修行者としては当然のこと、自分に対して厳しくすれ ば何度もしなければならない行為である。山頭火は 正直な人だった。 |
![]() 前の日記を焼き捨てたことと全く異なる。 自然の活発に生きていた姿が、真昼のうららかな時 の中で死の姿に変わってしまった。しかも死後の 処理の結果を目前にある。 秋に普通に何処でも見られる所作を鋭い目で見 つめている。 |
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![]() ひょっとすると山頭火自身の、死後の理想的な場所選び の句にも思える。 墓といえば人の「生きていた痕跡」だろう。この痕跡を 静かでしめやかな山の自然に求めていた。 行乞の旅では期待できない希望なのだが、やはり人の 子だった。 |
![]() このさびしさの根源は何だったのだろう。人はみんな この様な「訳の判らないさびしさ」を抱えている。しかし それに気が付かないだけなのだ。 乞食の行を続ける山頭火の背中に、いつも張り付いて いるのだ。これを自覚した時はじっと我慢しなければ ならない、自然と酒が進む、酒が醒めるとまた寂しさ が募る。なんともやりきれない。 |
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![]() あまりにも有名な、代表的な句。 このシリーズの(5)で取り上げたがやり直した。 晩秋のこの時期に、この句に出会うとまた異なる感興 がある。 |
![]() 再生の気持ちが溢れている。自己批判と自己嫌悪の 苦渋の旅を続ける中で、何か心の転機になる様な良い ことがあったのか希望が見える。心を入れ替えるのは よくわかるが、貧しい旅で衣も替えられたのかと、下司 の勘ぐり。 |
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