タゴールの詩によせて


タゴール・続編

再びタゴールに挑戦します。タゴールの詩に近づくにつれますます難しく近寄りがたい気がしてきます。偉大な作品とはこの様なものでしょう。
今回は最近、出版された「タゴール死生の詩」森本達雄訳(人間と歴史社)から引用させていただきました。
無断でごめんなさい。
最も感銘を受けた死の直前の詩から始めて遡るかたちになるだろうと思います。死に対する、生に対する大いなる歌にどこまで表現できるか、非力な自分の技がどこまで付いていけるか、なんとも不安ですがやってみようと思います。




行く手には平和の海、
船出せよ、おお舵とる人よ。
おんみは わが永遠の道づれ
連れたまえ、連れ行きたまえ、おお、おんみの膝に抱いて
無限への道に 北極星の標の光が かがやくだろう。

(後略)
ものみなは お止みない変化のうちに 迅速に移ろいゆく
これこそ 時の法則。
死は どこまでも不変のものとして現れる、
それゆえに この世界にあって 死は真実とはいいがたい
このことを たしかにわたしは知っている。

(前・後略)

灼熱の太陽が 寂寥とした真午どきに
赫々と燃える。
わたしは 人気のない椅子の方を見やる、
そこには やすらぎはない。

(後略)
日の出の山頂に 新しい生命への希望をいだいて
怖れるな 怖れるなと、呼ばわる声がする。
人間の出現に勝利あれかしと、
広大な空に 勝利の讃歌がこだまする

(前略)


心は 人生の最初の愛を
生命に献げた。
日常のすべての愛が
生命の最初の黄金の鞭にふれて
目を覚ます。
愛するものをいとおしと思い、
花の蕾をいとおしとおもう
わたしの愛に 生命の鞭が触れると
愛はいっそう親密なものとなる。

(前・後略)
彼らよりもっと悲しいもの それは
かって形をもっていたものが
時の流れのなかで しだいに
いっさいの意味を失ってゆくことだ。
おまえはどこに召されたのかと、問われても
彼らには答えることはできない。

(前・後略)

今日 足なえ 見すてられて
日常化した屈辱が
時の歩みの一足ごとに
おまえの旅路を妨げる、
足蹴にされ 踏みにじられて、恥辱は色あせ
ふたたび おまえが埃に帰するとき
ついに 終焉の平和が訪れる。

(前略)
今日 わたしの頭陀袋はからっぽだ
与えるべきすべてを
わたしは与えつくした。
その返礼に もしなにがしかのものが
いくらかの愛と いくらかの赦しが得られるなら、
わたしは それらのものをたずさえて行こう
終焉の無言の祝祭へと
渡し舟を漕ぎ出すときに。

(前略)

初めての太陽が
新しい存在の出現にあたって
たずねた
おまえは誰か?
返事はなかった。
年また年は過ぎ去り、
最後の日の太陽が
静かな夕暮れ
西の海の岸辺で 最後の問いをなげかけた
おまえは誰か?
答えはなかった。
あなたの星々が
彼に指し示す道 それは
彼自身の内面への道、
どこまでも透明な明るい道
彼の純粋な信仰で
つねに皓皓とかがやく道。
見かけは曲がりくねっていても、その道は内へと真っ直ぐに
通じている
そこに彼の誇りがある。

(後略)





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