能・夢現(ゆめうつつ)


その11 朝顔

ある僧がひさかた振りに都へ還って来た。この辺りは一条の大宮。突然、俄か雨が降りだした。
「これは困ったことだ。たしかこの辺りに佛心寺といったお寺があった筈だが。ああ此処だ此処だ。」
「ほー、なんと美しい草花であることよ、特に萩・朝顔がいまが盛りと咲きみだれていることよ。この一枝を頂いていこう。」

      『秋萩を折らでは過ぎじ月草の
                 花摺り衣露に濡るるとも』




「もし、旅の御僧、
その萩の歌でなくとも、このところにふさわしいゆかりの歌が
ございましょうに」
「いや、ゆかりなどと云った大そうな意味はありません、唯なんとなく思い出したままなのです。」

      『咲く花にうつろう名は包めども
                 折らで過ぎ憂き今朝の朝顔』
                  (源氏物語「夕顔」の光源氏の歌)

「この様にもてはやされている花も同じ所にありますのに、
しかしそのような恨みごとは申しあげても仕方ない事です」




「はて、このお寺はなにかその辺りの由緒あるお寺でしょうか。
そして、あなたは如何なるおひとでしょうか、御名をお聞かせ下され」
「もはや何を隠しましょう。私は朝顔の精でございます。世間の人々はかりそめにも朝顔を仏前にお供えする方はございません。先ほどの歌の意味にもありますように、恋慕愛執の種になると仏道からはかけはなれた花として扱われる事が嘆きの極みなのです。
今、たまたま御僧にお逢いできた嬉しさに、お経の一句なりともお聞かせ頂ければと思い、この様に出て参りました。




「その様なことでございましたか。
唐の御代に紅の朝顔をかんざしの上に飾り、歌を舞って佛果を得たといった故事があります。急ぎ衣冠をお改めになっては如何でしょうか。」
そもそもこの寺は、桐壺の帝の弟、式部卿の桃園の宮の旧跡。そのご息女は加茂の斎宮となられ、朝顔の 斎院と申されておりました。光源氏は、おりおりに情けをかけようと言い寄っておられました。
しかし「神に仕える身ゆえに」との口実で靡かれることはありませんでした




光源氏が朝顔の斎院に贈られた歌は

      『見し折の露も忘れぬ朝顔の
                 花の盛りは過ぎやしぬらん』
ご返歌   『秋果てて雲のまがきに結ぼほれ
                    あるかなきかにうつる朝顔』

源氏は朝顔の花を眺めるうちに、この花の示す無常の心を汲み取られていたのでしょう。
僧は 「 朝顔は朝と夕のあることは知っていても、ひと月に朔日と晦日のあることは知らない。蝉は夏だけを待っていて春や秋のあることを知ってはいない。この様な譬えはあるものの、それはそれでいいでしょう。
朝顔の花を見ていると「色即是空」の心を知らされます。面白い事です。」




朝顔 「桃園の宮もお亡くなりになり、一日の花も一度は盛りがありました。 あれもこれも、よくよく考えれば夢のうち、この世の全てが夢の中でした。 思えばこの佛心寺は滅多に逢えない法の庭でございました。」
朝顔の化身は、このように話終えると、
野分の風に袖をひるがえし、木の間の日影へと消えて行った。






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