能・夢現(ゆめうつつ)


その17 二人静

正月の七日、吉野の勝手明神の神事に使用する若菜を摘みに菜摘み女がやって来た。ここ吉野はまだ雪深く松の上にも雪が残っているが、やはり春が来たらしく雪どけが始まっている。雪の下には若菜が芽ぶいていた。




どこからか一人の女性がやって来た。「どなたでしょうか」
「吉野へお帰りになったら、神社の人々やその他の方々にお言伝をお願いして頂けませんでしょうか。」「どんなことでしょうか。」
「私の罪業はあまりにも,悲しいものです。申しわけございませんが、皆様お集まり頂いて、写経一巻を頂いて、私の跡を弔って戴けたらと、勝手なお願いとは思いますが、是非お言伝下さいませんか。」
「しかし誰から頼まれたと聞かれたら、どのように答えれば。」
「もしそのように疑う人があれば、その時は私が、あなたに憑いて詳しく名を名乗りましょう。必ずお願いします。」と言ったと思うと消えてしまった。




「恐ろしいような、不思議なこと、早く帰りましょう。」
「遅い帰りだったではないか。」
「不思議なことがあって、遅くなりました。」
菜摘み女は遭遇した不思議な女のこと、頼まれたことを伝えようとしたが、余りにも不思議なこと故に伝えるのを躊躇した。
この時すでに不思議な女は菜摘み女に取り憑いていた。




「さて、憑きたる人の名を名乗り下さい。跡はねんごろにお弔いしましょう。」
「今は隠す事もございません。判官、義経に仕えていた者です。」
「義経に最期までお供したのは、家来多きなかでも、増尾十郎兼房でしょうか。」
「兼房は義経殿の死骸のある御殿に火をかけ、自ら炎に飛び込み 自害した忠のものですが、それではありません。私は女でございます。義経殿が 都を落ち行かれる時、ここ吉野にて捨てられました。」
「さては、静御前であられますか、静御前ならば、舞の名手。ひとさし舞ってお見せ下さい。跡はねんごろに、お弔い致しましょう」
「私の舞衣を、ここ勝手明神に納めさせて頂きました。」
「納められた舞衣の色は。何色ですか。」
「袴は、絹の精好、素絹(すずし)。それに水干、模様は世の秋草の花尽くし」
神職は蔵を開いてみれば、まさに疑うところなし。




「これをお召しになって、舞くだされ。」
「お恥ずかしいことですが、昔、この明神様の社殿で、義経のために舞った白拍子の頃が懐かしく思い出されます。」
「今は吉野の菜摘み女と思いなされるな。」
静御前の舞は始まった。歌の意味はしみじみしたものだった。
義経の落ちゆく道は、吉野に入った。それは桜が美しくあればあるほど、義経の心、人の浮き沈み、世の姿、を浮き彫りにしたものだった。




静にとってもっとも辛かったのは、頼朝に召し出されて舞を舞わねばならなかったことだった。
「しづやしづ  しづの苧環(おだまき)繰り返し  昔を今に  なすよしもがな」
「思い返せば  いにしへも  恋しくもなし  憂きことの  今もうらみの  衣川  身こそは沈め  名をば沈めぬ。」
そして、舞手の歌はつづく、
「およそ憂きことが世のならい、そのように思い諦めているものの、松風よ、山桜を雪のように吹き返すような事は、しないでほしい、せめて静かに吹いて、この静の跡を弔ってほしい」
静の美しくも憐れな舞は続いた。






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